北海道の商工会議所史HISTORY

第4章戦時の「商工経済会法」基づく商工会議所改編

~国策協力の戦時体制総合団体として~〔昭和18年3月12日法律第52号公布・同年6月1日施行

昭和16年12月、第2次世界大戦突入とともに、経済統制は戦時体制へと強化の一途を辿るに至り、自由主義的機構を前提とする商工会議所制度は、戦時経済国策に十分な協力を図り得ないという時局と制度の矛盾に追い込まれた。
ここに至り、商工会議所の戦時体制版とも言うべき「商工経済会法」が昭和18年3月12日、法律第52号をもって公布、同年6月1日施行され、直ちに全国144の商工会議所は主務大臣の命を受けて一斉に解散し、各都道府県単位に全国47ケ所(それ以外は支部として)に商工経済会が設立した。北海道においても、この「商工経済会法」に基づいて、全道8商工会議所、88商工会は一斉に解散し、昭和18年10月2日、「北海道商工経済会」を設立した。
また、「日本商工会議所」も解体することとなったが、全国各地の商工経済会活動への協力と活発化のため、昭和18年10月11日、任意組織の「全国商工経済会協議会」を設立し、各地の商工経済会はこれに一斉に加入した。
このことにより明治以来、「商業会議所条例」「商業会議所法」「商工会議所法」の3法を通じ、仏独系統の流れを汲んで、次第に精ちを加えた商工会議所の組織運営活動は、一挙に消去され、商工業者の自治団体的な性格を失ない、行政機構の下部機関的な性格を持った、賦課金強制徴収制の商工経済会に改編されるに至った。
商工経済会の目的を、平時体制であった「商工会議所法」と比較すると、後者では、「商工会議所ハ商工業ノ改善発達ヲ図ルヲ以テ目的トス」と規定し、「改善発達」が目的であったが、「商工経済会法」では、「産業経済ノ円滑ナル連絡ヲ図ルト共二其ノ改善向上二努ムルコトヲ目的トス」とあって、前段の「連絡ヲ図ル」が主目的であった。
したがって、事業活動についても不明確で、事実、商工経済会は、経済統制への協力、あるいは、戦意高揚運動や生産増強のための工場慰問、戦況講演、遺家族援護、耐乏生活の推進などの銃後運動の展開を主要活動とするにほかならなかった。
ひるがえって思うに、戦争は常に商工会議所制度に大きな変革をもたらしてきたといえる。
英米系統の会議所は任意の会員組織であるため、自主協力のほか、戦争の影響を受けることは比較的に少ないが、仏独系統の商工会議所は、おおむね戦時体制に改編され、そして戦後には、新事態に即応する新しい制度として再出発していることから我が国の商工会議所は後者に属するものといえる。