北海道の商工会議所史HISTORY

第1章商法会議所の創設

~商工業者の社会的ステータスの向上を目指して~〔明治11年3月12日東京商法会議所の創設に始まる〕

 わが国において、先進諸国の例に倣った商工会議所制度が実施されたのは、明治維新後間もない明治11年3月12日東京に、同年8月27日大阪に、同年10月14日神戸に「商法会議所」の呼称のもとに誕生して以来のことである。
当時は、鎖国大平の夢から覚め開国間もない時代で、先進諸国との文明、経済面の劣勢は著しいものがあり、この甚だしい立ち遅れを取戻し、さらに、国際的には政治的独立を確保し、国内的には経済的自立を確立するために、富国強兵、殖産興業、文明開花を図ろうとするのが、明治維新後における日本の国民的課題とされた。
 しかしながら、自主独立の確保と殖産興業の促進を阻害していたものは、治外法権を認め、関税自主権を喪失した不平等条約の改正の問題、そして殖産興業化政策を推進するに、その協力者たるべき商工業者の社会的ステータスの問題であった。
 したがって、「商法会議所」の創設を促進した背景の1つは、この不平等条約改正促進のための商工業者代表の世論機関の急設が必要であったこと、そしてもう1つの理由は、殖産興業、特に外国貿易振興のために、これに協力する社会的ステータスの高い商工業界の機関を必要としたからである。
 かくして、澁沢栄一、福地源一郎、益田孝等実業界の先達者の発起によって、産業界の世論を結集し、これを政府に建議し、推進する母体としての東京商法会議所を明治11年3月12日創設しその運営に挺身したのであった。
 当時の政府も「商法会議所」の必要性を認め、その設置を全国的に勧奨するに至り、その結果、全国主要産業都市、福岡、堺、長崎、大津、岡山、熊本等に相次いで「商法会議所」の設立がみられ、明治18年にはその数は32にのぼったと言われる。
この商法会議所は、おおむね英米系商業会議所の制度を範として会員組織によるとともに、各地方の実情にしたがって任意に運営される会員制任意団体であることを原則とした。
 この「商法会議所」の誕生が、我が国における商工会議所の発祥であって、商工会議所100有余年の歩みはここに始まっている。